左手中指の怪我でギターを弾けない状態だったので、中々書けてなかった文章の類を一つ書いてみようと重い腰を上げました。
2ndアルバムを出した頃から「自分の創作についてはあれこれ説明をせず、受け取る側の解釈に委ねるべきだ」と思うようになり、ことさらに自身の創作物の説明を避けて来ました。
しかしながら昨今は「分かりやすいコンテンツ」が主流であり、30秒で見れるtiktokがその最たるものであり、youtubeまでショート動画に参入するなど、時代は短く分かりやすい方向に動いています。
これまで私の音楽を聴いて下さっている方はご存じのように、私自身はこの時代の潮流を無視し、その時々で自分の作りたいものを作っています。(とくに2ndアルバムの曲は異様に長い曲が多い)
今後も時代の流れに媚びないというスタンスは崩さないのですが、「ただでさえ分かりにくく長い曲を出しているのだから、少なくとも説明はすべきでは?」と最近思うようになったのです。
ということで少しづつではあるのですが、とくに自分の気に入っている曲や思い入れの深い曲を選んで、解説をしていこうと思った次第。
早速始めますが、第一回は「クリスマスの喜劇」です。
楽曲解説『クリスマスの喜劇』
1stアルバムに収録されている曲を、作ったタイミングで時系列で並べると一番新しいのがこの楽曲。
というのは、1stアルバムを制作している頃(2020年夏~秋)に出来た曲であり、凄く気に入ったので出来の悪い曲を一つ除き、急遽収録することにしたのです。
なので実は出来たタイミングとしては2ndアルバム収録曲とほぼ同じという。
創作意図
タイトル通りクリスマスをテーマにしていますが、巷に溢れるクリスマスの曲とは趣を異にしているのがお分かり頂けるかと。
大抵クリスマスソングというと、決まって恋人との愛や恋を歌ったものばかりです。
しかしこの曲の主題は「家族の愛」。
クリスマスという文化は周知のように外来のものであり、日本の土着的なものではありませんが、少なくとも現代においては当たり前の風習として溶け込んでいます。
当然に私もこのクリスマスという文化を幼い頃から生活の中で経験してきました。
私が思うに、このクリスマスという行事は、生活の中に溶け込んだ一種の「喜劇」だと思うのです。
親は必死になって「サンタ」という役を演じ、子供にバレないようにプレゼントを用意し、間違いなく寝たのを確認してから枕元に物を置く。
無垢な子供はそれを心から喜び、サンタという存在に思いを馳せる。
これが純粋な「善たる喜劇」でなければ、一体何を善と言うのでしょうか。
何がきっかけだったか思い出せないのですが、ふと過去のクリスマスプレゼントのことを思い出し、続いてこんなことを考えたところが、この曲の着想でした。
またそれと同時に重要な命題となるのが「嘘」。
捉えようによっては、親は「嘘」をついてることとなります。
しかしこの嘘には何の害意もないどころか、これは愛から出る嘘と言えます。
歌詞中でも出てくる内容ですが、ある日私はサンタという存在が嘘であることを、友達の口から聞きました。(小学校半ばくらいだったような気が)
ある別の友だちは「サンタなんて信じていたのか」と自分をからかい、親から手渡しで毎年プレゼントを貰ってる話をしました。
彼にはサンタという存在がいなかったのです。
私はこれらの友人らの話で、サンタを信じていた自分が猛烈に恥ずかしくなり、帰宅後、母親に「サンタがいないことを知ってしまった」ことを告げたのです。
その日から私の家から喜劇が無くなりました。
この母親へ告げたことと、その年から手渡しでプレゼントを貰うようになったことが、未だに罪悪感として頭にこびりついています。
そんなクリスマスの喜劇という一種の壮大な喜劇と、善たる嘘に関する曲、それが私の『クリスマスの喜劇』という曲なのです。
そして今思うのは、サンタという存在が初めからいなかった友達よりも、サンタという存在がいた自分の方が幸せだったのではと思うのです。
とうの昔に、私もサンタという存在を失いましたが・・。