6月にアーティスト名を「スズキサトシ」から漢字表記「鈴木諭」に変更し、『そのうち動画で理由を説明します』と言ってたものの、早、年の瀬が迫ってきました。
そんなワケで本来動画にするはずだったものを、一筆したためる形に変更しようと急ぎ筆を取った次第です。
そもそも当初なぜカタカナ表記だったのか、というところから説明しますが、これは自分の名前の漢字「諭」が昔から読み間違えられたり、すぐに読んで貰えないことが多く『音楽活動するにあたり読みにくい名前だと不利になる』と考え、安直にカタカナにし、そのままずっと来たという。
漢字表記に変更しようと思った大きな理由の一つは、自身のルーツというものへの関心が深まったことに由来します。
ルーツというのは細かく見れば東北、そして秋田であり、大きく見れば日本というもの。
遥か昔に削除したような最初期の曲を知っている方は少ないはずですが、曲作りを始めた当初、良くも悪くもヒロトマーシーに影響を受けすぎて東京やら下北沢やら、自分自身とは一切関係ないものを対象に曲を作っていました。
しかし次第に『秋田で生まれ育った自分が東京の唄を歌ってどうするんだ』と思うようになり、それから徐々に作る曲の主題に変化が生じ、メロディが気に入ってる曲なんかは歌詞を全部載せ替えたりなんかしたという。
現在公開している曲では「米代川の夕暮れに」「都会の冬」の2つがそれに該当します。
話が変わり主題の変化という意味で言いますと、2ndアルバムに収録されている暗い曲、例えば「アトピーのうた」「犬の川」「炎と老婆」あたりは自分では気に入ってる曲なのですが、第三者の共感は似たような体験でもしてない限り得にくい曲だと初めから分かっていて制作しました。
しかしこうした曲の中にこそ、確たる『自分』というものが存在し、自信は無いですが他の人には作りえない自分の曲だと思うのです。
既存の曲では前述の”小さなルーツ”を主題としたものが多いですが、今後出していく書きたまっている曲の中には”大きなルーツ”の曲も存在します。
これらの思考・創作物の変化を実感していく中で、アーティスト名がカタカナであることに猛烈な違和感及び嫌悪感を感じるようになりました。
無論、これは自分自身に対しての話であり、カタカナ・英語表記の日本人アーティストを否定する意味はありませんので誤解無きように。
表記を変更すると既にカタカナ表記で配信している楽曲なども改めて配信し直す必要がありますし、様々なデメリットもあるのですが、それ以上にカタカナ表記の自分に我慢がならなくなり、漢字に変更することにしたのです。
だいぶかいつまんでの説明となりましたが、以上が漢字に変更した理由でした。
自信のルーツに対する矜持を持ち、日本人として生きていたいと思う今日この頃。
余談ですが、新しい曲も大量に書き溜まってます。旧作の再録・リミックスが仕上がり次第、次作に取り掛かります。
ぜひぜひご期待ください。ではまた。