蒸気機関車が子供の泣き声のように噴き出した頃、僕はハーレムの裏路地でくすんだコートを着た親父が通り過ぎるのを眺めていた。

君と昨日交わした会話を端的な表現フォームで描きとめることもできるが、それはしたくない。

なぜならいつだって物事はマイノリティを交錯させた時に起こりうるのであり、決して声の大きいものに委ねられるものではないだろう。

少しづつ薄暮が増して行く頃、家路を急ぐ掃除婦の藁籠にはブルースが眠っているように見えた。

僕は安逸を貪り、ふと自分自身の感じるところの日常と呼ばれるものを思い返した。

「造作も無く置かれるくず籠の存在意義」

「物干し竿に止まったハエの喜び」

「常識に憚られた君の日常」

「固定概念を拳と同義で扱う大人」

「他人を罵倒することで自己の強さを誇張する若者」

「定義付けられない正義という論拠」

だからだ。

だから群衆は泣き叫ぶんだ。

ところで5月はまだ始まったばかりだろうか?

僕にはそれを知る由は無い。

Gt&Vo スズキサトシ

 

Dr ペケ